レイキ 歴史

 

 
 
 
 
 

 レイキの発祥からこれまで

 
レイキはカタカナ表記ですが、元々霊気と漢字で書きます。
それは、日本発祥の霊気というエネルギー療法が一度日本国内で風前の灯となり、その間西洋で霊気はReiki(レイキ)として広まりそれが逆輸入という形をとって日本に再上陸したという経緯があり、そのようなことから本来は「霊気」なのですが「レイキ」とカタカナ表記することが多いのです。
 
霊気は臼井甕男先生が大正11年に始められたものです。
臼井先生は霊気を生得の能力として持っていた訳ではありません。
臼井先生は会社員、公務員、実業家、宗教の布教師など様々な職業を経験しましたが、思うところあり心の平安を求め禅の道に入り3年修行をされたということです。
悟りを求め修行を重ねるもののどうしてもその境地に至らず、苦悶の末に禅の師にその心境を打ち明けどうしたらそうなれるのか道を求めました。
すると禅の師は「一度死んでみよ。」と即答し、臼井先生は「それなら」と京都の鞍馬山に篭り断食を始めました。
おそらく、本当に死を覚悟されて修行をしていたのでしょう。
そんな中21日目の深夜突如として脳に落雷を受けたかの様な強い衝撃を受けそのまま意識不明になってしまいました。
気付くと朝になっており、心身は非常に爽快な気分で全てが美しく感じられ生まれ変わった様な感覚を得ました。
深夜の落雷は雷が落ちたものではなく強烈な神気が身体を貫通したのであって、臼井先生はその時神人合一の境地に至ったことを悟りました。
 
臼井甕男先生 悟り
 
山から降りる道中に臼井先生は石に足指をひっかけ爪を剥がし流血した怪我を負いました。
その時思わず手を患部に当てたところ、即座に血が止まり痛みも失せ治ってしまい、その出来事に衝撃を受けました。
 
自分に卓絶した治癒能力が備わったことを知った臼井先生はこの能力を多くの人に伝えたいとその後研究を重ね「心身改善臼井霊気療法」を確立しました。
 
昭和初期は霊術が非常に興隆した時期だったことは今や殆ど知られていません。
多くの宗教・療法が雨後の竹の子の様に起こり、人々の意識にそれが浸透していった時代です。
しかし、太平洋戦争後にはその殆どが霧消してしまっていました。
霊気もその一つで、先に述べたように国内では積極的な伝法をしなかったために風前の灯状態になっていました。
その間、海外で霊気を伝えていったのが高田ハワヨ女史です。
 
高田女史は日本人を両親に持つハワイ生まれの女性です。
難病を患い、ハワイでこれ以上の治療は望めないということになって日本を訪れました。
余命幾ばくもない状態で、大手術を受けることになっていたのですが、手術台に乗る直前に「手術は必要ない」という心の声を聞き、手術のまさに直前になって手術台を降りてしまいました。
それで医師・看護師に「手術以外の治る方法はないのでしょうか?」と尋ねたそうです。
さぞかし医師達も困ったことでしょう。
しかし、そんな彼女の相談に真摯に耳を傾け、臼井甕男先生の直弟子である林忠次郎先生を紹介したそうです。
 
林忠次郎先生は臼井甕男先生より皆伝を受けたとされる二代目継承者と言っていい人物です。
林忠次郎先生は信濃町でレイキの治療院を開業し活躍されていました。
林忠次郎先生と高田ハワヨ女史、この二人の出会いはまさに天の配剤というべき運命の出会いと言えるもので、高田女史は林忠次郎先生と他の霊気治療家の集中的な施術の結果、奇跡的に健康を取り戻しました。
高田女史は霊気の素晴らしさを身を持って体験し、どうにかそれを学びたいと思うようになりました。
その後、林忠次郎先生の下で1年間霊気を学びハワイに帰国。
ハワイでは当初指導はせず、施術のみしかしていなかった様ですが、80歳で他界するまでの間22名の弟子を育て上げました。
その22名の弟子はその後世界中で霊気を広め、「Reiki」(レイキ)として現在では500万人が学んだと言われています。
レイキは1980年代半ばあたりから様々な経路で日本に逆輸入され、日本国内でも今や5万人が学んだ最もポピュラーなヒーリング法として知られるようになりました。
 
 
参考文献:「月刊 玉響 No.233・234」 
 

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