インド修行記

 

 
 
 
 
 

 2014年5月 インド修行記


ガンジス川 
 ガンジス川
 
2014年の4月下旬は暖かい日と、冬の寒さ残る日と交互に訪れる不安定な気候でした。
早く温かくなってほしいという思いを持っていましたが、今回はそれを超えて猛暑の地に行くことになってしまいました。
 
今回の修行の場は北インドのリシケシという街で、ここはヨガの聖地として知られています。
世界中からヨガティーチャーがここを訪れ修行をしていきます。
ヨガティーチャーはここで学んだことを自国で生徒に教えています。
リシケシはヒマラヤの玄関口でもあるため聖者・サドゥー(遊行僧)が多くいます。
もっとも聖者という言葉も定義や資格がある訳ではないのでピンキリです。
かつてはここにスワミシヴァナンダという大聖者がいました。
1962年頃他界していますので、今はその弟子・孫弟子が活躍しています。
かつてビートルズもデビュー前にここリシケシで修行していたとは、3年前のヒマラヤ修行記で書いたことがあります。
 
スワミシヴァナンダ
スワミシヴァナンダ
 
寒さが厳しいヒマラヤの山岳地帯での修行もきついものがありますが、日中は35℃を越える暑さでは体力を消耗しますのでこれもまたきついのです。
今回修行したアシュラム(寺院)にはクーラーはなく天井に付いているファンが唯一の設備なのですが、1日の約半分は停電で機能しませんので実質原始時代と変わりません。
ただ、日本の様に湿度が高くないのが救いでした。
しかし、それでも暑かった・・・
日に何度かシャワーを浴びて頭が熱中症になるのを予防していました。
 
リシケシには多くの聖者がいますが、私が今回指導を受けた聖者はリシケシの山間部でひっそりと指導をしている方なので日本人は初めてだったようです。
聞けば私と同じ年齢の聖者で、聖者にしては若いです。
若いからといって力がないかというとそうではなく、気(エネルギー)を感じてみたところ相当大きな気(エネルギー)を持っていました。
 
私と修行仲間はミラクルや強力なヒーリングパワーや神通力を求めて各地で修行をしています。
この聖者によるとそのようなものはそれ程価値がないのだ、最も重要なのは悟りを啓く事(エンライトメント)であると熱烈に訴えていました。
人生は、特に俗社会で暮らす私たちの人生は様々な誘惑や欲望に翻弄されつつ生きています。
 
「あれもほしい、これもほしいと欲しい物を追求して獲得しても幸せになることはできない。いつまで経ってもその繰り返しで人生というマーヤ(幻想)から抜け出すことはできない。悟りを啓くと真理が分かり、そこですべてが満たされ自由になれる。だから何を置いても、全てに優先して悟りを啓くことに精進しなければならない。」と悟りの重要性を訴えていました。
 
私たちが求めている力というのも、悟りの過程で身に付いてくるものであると教えられました。
確かにこの聖者は法力には余り関心がないようでした。
 
アシュラム(寺院)での生活はとてもシンプルです。(ある意味貧しいという言い方もできます)
下記の写真は日々の食事ですが、ピュアベジタリアンであるのはもちろんのこと、インドに特有の強い香辛料も入ってなく味わいはとても淡白でした。
日本での食事は様々な化学調味料・添加物が入っていて、これと比べると味も濃く、ある意味不自然で身体には良くありません。
私たちの感情は食べる物によって知らず知らずの内に影響を受けていますが、この様なシンプルな食事を継続していれば、より一層穏やかで静寂な境地に至れるのでしょう。
しかし、都会暮らしの私はその様な食を日々継続するのは難しい状況で、今回の様なリシケシの山中に行かない限りはなかなかできるものではありません。
やはり生活環境というものは大事であると実感できます。
 
アシュラムの食事

アシュラムの食事
 
今回はこの聖者から呼吸法や瞑想の様々な方法を伝授して頂きました。
特にあっと驚くような力を見せたわけではなく、改めて基本に立ち返った感じがします。
派手なパフォーマンスを見せたりしないので、修行仲間の中には物足りなく感じていた人もいました。
私もこの聖者はどうなのかな?と思った時もありましたが、帰国してみるとこれまでの修行に比べて大きく成長できていたのに感動を覚えたものです。
 
中でも今回はチャクラの秘密、最強マントラを教えて頂きました。
チャクラの秘密とは・・・通説で言われている7つのチャクラ以外に全21のチャクラシステムが存在するということです。
通常言われている7つのチャクラの最高位として存在するサハスラーラチャクラ(クラウンチャクラ/第7チャクラ)を開くことが霊性修行のゴールの様に思われていますが、実はそこが悟りの入り口であり、そこから先がまだまだあるということでした。
一般にスピリチュアルに関心がない様な人は、1番チャクラ(ルートチャクラ)・2番チャクラ(丹田のチャクラ)の一部を使っているに過ぎず、霊性の点では霊性が上位の動物と余り変わるところはないと教わりました。
確かに、食べるために働くという動機で日々を過ごしていて生活がそれだけになってしまっていれば動物とさほど変わるところはないかもしれません。
人間に生まれているということは、過去世の中で動物も経験してきてそれを卒業してきた訳ですから、人間だからできること、人としての使命を果たさねばなりません。
それが果たせない内は幾度もこの先も人間として生まれ変わり魂の経験を積んでいく必要があるのでしょう。
 
今回は滞在中2回ガンジス川で沐浴をしました。
ガンジス川の沐浴とはただの水浴びとは違います。
ガンジス川は神々が住むヒマラヤ山脈から流れ出る聖なる川で、この川の水はすべて聖水なのです。
ガンジス川の神はガンガー女神として神格化されています。
下流に行くとガンジス川には生活排水がたくさん流れ込んでいたり、また死体を流したりとその水質はかなり汚染されています。
そのような場所と違い、今回はリシケシを少しさかのぼった水も綺麗な流域での沐浴でしたので心身が浄化されとても清々しかったです。
修行仲間の一人はガンジス川が大好きで、沐浴に感動して涙していました。
日本人なのにそこまでガンジス川が好きなのは前世からのご縁があるのでしょう。
一緒に沐浴していた修行仲間の多くは「寒い寒い」とブルブル震えていましたが、私は温泉のようでいつまでも浸かっていられるなぁと感じたものです。
ガンジス川で沐浴しプジャをして、大自然の中で本当に幸せな一時を過ごすことができました。
 
また聖者から個人的に執着を手放す生き方をする様に諭されました。
それが霊性の高みに進むためには必要となるのでしょう。
自分では割と執着なく淡々と生きているつもりでいますが、山中で隠者の様な生活を送る聖者にとっては都会暮らしで世俗的な私はまだまだ煩悩だらけと映るのでしょうか。
 
聖者は私よりも遥かに高い霊性の境地におられるとそのエネルギーからも感じ取れましたが、ヒーリングの力という点では??という印象がありました。
それは、同行したTさんが滞在中体調不良になったことで聖者のヒーリングを間近に見ることができたからです。
聖者はTさんが良くなるようわざわざヒーリングをしてくれましたが、残念ながら結果は思わしくありませんでした。
その経験から意識のレベルが上がる、霊性が向上するからといって必ずしもヒーリングの力が増す訳ではないのかもしれないと思いました。
聖者は7チャクラより上位のチャクラまで覚醒した悟りに近い人物かもしれませんが、そのエネルギーはヒーリングにはうまく働かないのでしょう。
 
気・波動の周波数には細かく精妙なものから粗いものまであります。
聖者のエネルギーは精妙を極め、魂の悟りや魂レベルの病気のヒーリングには適しているのでしょうが、肉体に近いレベルの病気・症状の気の修復をするのには向いていなかったのかもしれません。
 
 
ヒーリングをするということはせっかく動かせるようになった大きなエネルギーを他者の救済のために使いエネルギーを消耗するので、悟りのためのエネルギーが不足し悟りから遠ざかるという説を唱える人もいます。
修行を重ねやがて悟りを得て解脱をする、その目的で生きるのは素晴らしいことでありなかなかそれに邁進する人生を送れるものではないと思います。
私は自分の今世は悟りに向かっていながらもやはり菩薩行なのではないかと感じました。
菩薩はまだ悟りを得ていない(=仏になっていない)段階の神的意識体のことをいいます。
菩薩はもちろん仏になりたいのでありますが、自分だけが仏になるのではなく娑婆で苦しんでいる衆生を救済し尽くして衆生が仏になってから自分は最後に仏になればいいと利他行をしています。
菩薩行とは菩薩のような生き方(利他行)をすることをいいます。
 
この世という物質世界は娑婆であり、苦しみの多い世界です。
釈迦(ゴーダマシッダールダ)は生・老・病・死の四苦がなぜに人間にあるのだろうかと苦悩し、何一つ不自由ない王子の位を捨て出家しました。
この現代社会の抱える苦悩を見ても釈迦が悟りを得た時分と大差なく、この四苦が私たちの人生について回り苦しみをもたらします。
生きているのが辛い、死んだ方がマシという人も多いと思います。
病気の苦しみで起き上がるのも辛く、人生に未来や目標・夢など露も感じられないという人も多いことでしょう。
 
私は修行によって得たヒーリング力を主に病気の方の救済に使わせて頂いています。
それが私の人生です。
たとえ、ヒーリングをすることで今世中に悟りを得られなくても、病人を助けることが私の人生の目的であればそれを菩薩行と思い完遂するまでと思います。
ヒーリングをしていくことで悟りのエネルギーが満たされなくても仕方ないと思いますし、それどころか人のネガティブや霊障を受け苦しむことも多くあります。
苦しい時には自分はもう長くはないと思うことしばしばです。
「辛いなぁ」とか「やってらんないなぁ」とか思うことも多いですが、病気という人生の業から人々を解き放ってあげたいという気持ちがそれを上回ります。
神はこの世で迷妄のままに苦しんでいる人々の業・ネガティブを浄化するために私にヒーリングの力を与えてくれているのだと考えます。
菩薩行とは完全なる利他行ですから、人の魂を救い意識のレベルが上がってくれればそれが私の満足となります。
エネルギーの汚れた都会の街中で人々と一緒になって汚れて生きていくのを神はきっと見ていてくれるものと思います。
 
慈愛を持って他者救済の利他行をしていくことが菩薩行ですが、それは何もヒーリングだけに限定されません。
家庭の主婦であれ、会社員であれ、塾の教師であれ、介護ヘルパーであれ、その心が、動機が他者のためにあって、その人たちにより多くの愛の光を届けるという気持ちを持って生きていれば、その人の人生は菩薩行であると言えるのではないかと思います。
その人たちは仕事や立場は違えど私の同志であり、その人の目を見ればそれを語っているものと思います。
 
私は霊性の高みを目指しつつも、ヒーリングで多くの人を救済するいう初心を忘れずその力の向上のため今一層の修行をしていこうと固く心に誓いました。
 
今回は聖者の指導を受けこの様なことを考えた次第です。
 
【2014年5月30日】

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