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 2012年 インド・ヒマラヤ修行記


プージャ 
ヒマラヤから何とか無事に行を果たし帰国したのが9月の末日、それから約1ヶ月半が経ちようやく修行について筆を起こす位回復したところと思う。
 
今回の行はとても不思議な体験を幾つもし、またかつてない位自身にとってきつく壮絶なものであった。
 
修行というものは高度になればなる程秘密性が高まる。
仏教にも密教がある様に、修行には秘密の教えという隠匿性が付随する。
そのためどうしてもお伝えできることが少なくなってしまうのであるが、お伝えできる範囲で語ってみようと思う。
 
今回訪れた地はヒマラヤでもまったく表に出ていない無名の地であり、現地の人も外国人をみたことがない人ばかりだ。
そこの人たちはインド人というよりチベット人の顔をしていてこげ茶色の肌ということを抜きにすれば日本人の顔にも似ている。
私が訪れたのはある村のプリーストのところで、プリーストとはカーストの最上階級、司祭階級にあたる。
そこにはヴェーダの秘法が1000年以上に渡りある司祭階級(プリースト)の家系に伝承されており、それはこれまで外部の人、ましてや外国人に漏らされたことはない。
その秘法を固く守るためにプリーストは自身の能力を明かすことはなく、普段はどこにでもいる普通のおっさんを装っている。
今回この人と地にご縁があったのは誠に不思議としか言いようがない。
何か前世の縁でもあったのだろうか??
ヒマラヤの山並みに沈む夕陽を見ていると、一体自分はどうしてこんなところにいるのだろうかと不思議に思えて仕方がなかった。
 
写真を披露し紹介したいところであるが、残念ながら帰途のタクシーの車中に忘れてしまいたくさん撮影した写真も陽の目を見ることはなくなってしまった。(上記画像は師から頂いたもの)
私の師もかつて大量に撮影した画像を誤って全削除してしまった経験を持っているが、この時のことや、今回の私の紛失劇も神から表に出してはいけないという啓示の様に思われてならない。
 
従って、具体的に何を経験したかを伝えられないのがもどかしいところであるが、今回の行は私にとってこれ以上なく辛くきついものであった。
5月に師と兄弟弟子がその地で修行をした時は肉体的な浄化が起こり、大変きつい下痢が続いてヘロヘロになったと聞いた。
この場合の下痢は食あたりということから起こったものではなく、身体の不浄な物を体外に排出しより清浄な身体になるための膿出しの様なものだ。
だから下痢でも下痢止めで止めてはいけない。
 
病気でも好転反応として下痢が起こることは多い。
その下痢に耐えて出すものを出し切ると身体はそれまでの苦しみが嘘のように清々しいものに生まれ変わる。
 
私の場合、今回の修行で肉体的な浄化ではなく、感情的な浄化作用が起こりこれでもかという位自分のネガティブな感情と向き合わなければならなくなった。
まるで地獄の底を這い回る様な感じで、長く暗闇の中でもがき苦しんだ。
本当に1歩間違えば気が狂ってしまうところだった。
心の病として病名が付けられるあらゆる症状が出て来て私を苦しめた。
その苦しみは言葉で表現できないが、うつ病で自殺をするとはこのような状況だと実感できるものであった。
 
ヒーラーが神のエネルギーを受けとるにはそのようなネガティブな感情は邪魔になる。
日頃そのような感情を意識していないつもりだが、私の場合まだまだ未熟だったということなのだろう。
マントラ行で大分カルマなどの浄化が進んだものと自認していたが、今回怒涛の様に押し寄せる自身のネガティブな感情に飲み込まれなすすべもなかった。
私はこの自分の心の深奥にしまいこんでいた自身のネガティヴィティを少なからず浄化したので、より神のエネルギーを大きく受けられる様になっていてほしいと思う。
そして今までより強力なヒーリングの力で苦しむ人の助けになりたいと思う。
 
私がこの行を超えられたのは兄弟弟子の温かい支えや、今回私のヒマラヤ行を応援してくれていた沢山の方々のお陰だと思う。
応援する思いや祈りのエネルギーは無力なものではなく、実際に距離を越えてその思いが届き、その人を支える力となる。
自分で言うのもおかしいが、よく耐え抜いたと思う。
多くの人達の思いや神仏のご加護のお陰と感謝の思いが絶えない。
 
今回私が体験したことやヒマラヤで体験した不思議な出来事から分かったものを伝えます。
少しでも共感頂けたら嬉しく思います。
 

 現在(今)を幸せに過ごせば過去が変わる。

未来は変えることができるとは誰でも思うことだが、あったはずの過去の出来事が形を変えることがある。意識が体験する場は今現在チューニングしている現実的世界の他無数にある。平行宇宙といえば分かりやすいだろうか。意識が変わると意識が体験をする世界(場)が変わる。たとえ外的な問題を抱えていてもそれは自分自身の内的な問題であり、外の問題を解決しようとするのも確かに大事だが、自分自身が変わると問題の質が変化したり、問題自体が霧消する。私達人間は宇宙の一部であるが、また同時に全体でもある。
 
 

 神はかなり人間っぽく、かなり身近で私達を見ている。
 また厚い信仰には喜び応えようとしている。

神は本当にいるのだろうか?このカリユガ(末法)の時代、人々は神の存在を見失い生きていても羅針盤を持たない船の如く彷徨っているようである。しかし、神は厳然として存在し、私達のやることをみている。実によく見ている。神が感じられなければ信じるしかないかもしれないが、今回私はヒマラヤでそれが体験によって確信に変わった。自分の一部となった。たとえその体験がなくても神は厚い信仰を喜びそれに応えようとしているので、自分が信じる神を日々信仰すると良い。
 
 

  神は容易に助け舟を出さないが、土壇場のところで奇跡的な助け舟を出し
  どんでん返しをする。

私達の経験していることは意味がある。たとえ問題に直面していたとしてもそれを耐え忍び、学び、乗り越えるところに意味がある。だからその学びになる体験をし成長しているものを簡単に取り上げようとは神は思わないが、本当に苦しくもう駄目だ、助けてーという位までなると神は奇跡を起こし、それまでが嘘だったかのような助けを出しどんでん返しを起こす。それはまるでシナリオのよく練られたドラマのようである。
 
 
 
これまで経験した幾多の神の奇跡に感謝し、神と共に歩んでいられることに愛を感じる。
一人でも多くの人が同じ体験をして頂ける様、またより高いレベルで神の愛を受けられる様、日々修行と施術に邁進していこうと思う。
【2012年11月8日】
 
 

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